あるサポーターの独白

 ある年、応援しているチームに双子のルーキーが入って来た。プレーを見て俺はすぐに2人に惹き込まれた。
 享介は少し慎重すぎるきらいがあったが繰り出すパスは正確で、悠介は少し飛び出しすぎるきらいがあったが思い切りの良いシュートは豪快で。若いだけあって荒削りで未熟な部分もあったが、なによりゴールに向かってまっすぐ走って行く2人がまぶしくて。蒼井兄弟のファンになるのに時間なんてかからなかった。
 スタジアムでプレーを見て活躍に喜び、家で試合を見返してやっぱりこいつ等はすごいと感動を噛み締める日々だった。
 2人の活躍が書いてある新聞記事はスクラップしたし、雑誌にインタビューが載っていると告知されれば書店に駆け込んだ。
 今年のユニフォームは買ってしまっているから、来年のユニフォームは蒼井兄弟の番号のユニフォームを買おう。
 ああでも悠介と享介どちらの番号にしようか。
 いっそホームのユニフォームを悠介、アウェイのユニフォームを享介にするとか?
 でもやっぱり2人のことが好きだから両方欲しいよな。いっそ2枚ずつ買うか?
 でも着るのは俺1人だしな…。いっそ俺が2人いれば…なんて来年のことを考えてみたりもした。
 いつか日本代表に2人揃って選ばれるかもしれない。そこで大活躍して世界中から注目されるかも。そんな夢想を何度もした。

 そんな矢先の、悠介の怪我だった。
 その瞬間を俺は現地で見ていた。ピッチに蹲ったまま動けずにいる悠介が、担架で運ばれていくのをただ見ることしか出来ないことが歯がゆかった。神様どうか、どうか酷い怪我ではありませんように、と祈った。叶うなら俺が代わりに怪我をするから、だからどうか、と本気で思ったのは初めてだった。
 その後のチームから出された発表は「蒼井悠介は怪我の為長期離脱する」という無常な事実だったが。
 目の前が真っ暗になった。嘘だ、という言葉が口をついて出た。
 けれど、本当につらいのは悠介自身なのだとすぐに思い直す。彼は若い。きっとリハビリをして、このピッチに戻って来てくれる。享介もきっと悠介の分まで頑張ってくれる。だから、俺は精一杯応援をしよう。
 そう信じてスタジアムに足を運び続けた。けれど、悠介はもちろん、段々と享介もスタメン入りすることが無くなり、果てはベンチに入ることもなくなってしまった。
 それでも、いつかきっと2人は戻って来てくれると信じて、俺はスタジアムに足を運び続けた。

 そんな日々が続いたある日、2人の電撃引退が発表された。
 チームのホームページに2人の謝罪と感謝が簡素に綴られたものが掲載されていたが、何度読んでも2人が引退するという事実を飲み込めなかった。
 まだ18歳じゃないか。リハビリしてもどうしようもないほど、そんなに酷い怪我だったんだろうか。2人でいっぺんに引退なんてどういうことなんだろうか。こんな若い選手を放り出してしまうようなチームだったのか。他に理由でもあったのか。思うことがありすぎて気持ちはぐちゃぐちゃだった。
 悲しさと空しさがない交ぜになったまま、それでもスタジアムには通い続けた。試合の日にスタジアムの空気を吸っていると、もうここにあの2人が戻って来ることはないなんていうのが嘘のように思えたからだ。悪い夢なんだと思いたかったのかも知れない。
 けれど、毎日のように飽きもせず眺めていたスクラップブックは本棚に入れっぱなしになった。見返す勇気も、捨ててしまう思い切りも持てなかった。

 喪失感を抱えたままいたある日、たまたま入ったCDショップで偶然目に入ったCDがあった。見て、まず自分の目を疑った。大好きだった、大好きな選手2人がジャケットにいたのだ。
 見間違えるはずが無い。ポスターだってサイン入りのブロマイドカードだって持っている。悠介と享介だ。蒼井兄弟だ。でも何故こんなところに?
 その場でスマートフォンのブラウザを起動して調べてみると、なんとアイドルとしてデビューをしたらしい。そして、そのデビューシングルが今目の前にあるこのCDらしい。
 確かに人気のある選手達だったが、なんでアイドル?悠介の怪我は大丈夫なのか?選手として戻っては来てくれないのか?
 混乱する頭でそれでもCDを買って家に帰る。買ったは良いものの、曲を聴く気にはなれなくて、CDを机に置いてただぼんやりとジャケットを眺めた。
 所属事務所のホームページを見てみると、蒼井兄弟以外にも元弁護士だとか元医者だとか元教師だとか妙な経歴の人間が並んでいる。その中に、見慣れた2人も並んでいた。
 なんでアイドルなんだろう。どうしてサッカー選手として戻ってきてくれないのだろう。
 そんなどうしようもない気持ちが湧いて来てしまってたまらなくなり、ブラウザを閉じる。
 そこで不意にCDに「リリースイベント参加抽選券入り」という記載を見つけた。曲の披露と、お渡し会というのがあるらしい。もしかしたら、その場で真意が聞けるかも知れない。そう思いついて、ハガキを取り出して必要な事項を書き込んで投函した。外れたら外れたで仕方ない。でも万が一当たったのなら直接聞こう。なんでピッチに戻ってきてくれないんだと。

 結果から言うと、俺は当選してイベントに参加した。
 だが、2人を問い詰めることはしなかった。出来なかった。する必要なんて、無かった。
 イベントが始まり2人が歌い出したのを見て、答えが分かったのだ。
 ピッチの上で輝いていた2人は、今ステージの上で輝いていた。まっすぐまっすぐ、走っていた。
 そのことが分かった瞬間、涙が溢れていた。

 もう見れないのだと思っていた蒼井兄弟が、悠介が、享介が。
 俺が見たかった2人がそこにいたのだ。

 ステージが終わってお渡し会になった時、口にする言葉はもう決めていた。
 女性ファンに混ざりながら順番を待ち、俺の順番になった。その時に悠介が「あっ」と声を上げる。
 なんだろう、と思い自分の服を見て気付く。普段着にしていたのであまり気にせず着て来てしまっていたが、応援している――2人が所属していたチームのウェアを着ていたのだ。それに気付いたのだろう。
「ずっと、これからも。応援します」
 2人が言葉を発する前にそう口にする。ステージを見た後に湧いて来た素直な気持ちだった。
 サッカー選手としての2人が見れないのは正直寂しい。けれど、あのステージを、そこでキラキラと輝く2人を見たら応援しないなんてこと出来る筈が無かった。
 ミスはあったし、きっとアイドルとしてはまだまだなのだろう。
 でも、それを補って余りある魅力があったのだ。
 それは、2人がサッカーをしていた時と何ら変わらなかった。そんな2人を見ることが出来た。それが嬉しかった。
「…ありがとう!」
「…よろしく!」
 笑顔の2人は、記憶の中の2人と同じでとてもまぶしかった。

 家に帰ってすぐにCDを再生させる。さっき聞いたばかりだというのに、曲を聴いてやっぱり泣いた。
 そして気付く。このジャケットの撮影場所はスタジアムだ。毎週のように足を運んでいる、あのスタジアムだ。
 よく見てみれば、事務所のホームページで使っている写真で2人が着ているのも、チームのウェアだった。ウェア姿を見慣れすぎていて気付かなかったらしい。
 こんな形で使っているのだ。チームもきっと了承済みなのだろう。何があったのか、どんな理由なのかは分からないが、恐らく2人とチームと事務所で話し合って、納得してのアイドルデビューなのだ。
 そんなことにも気付けないくらい、イベントに行く前の俺には余裕が無かったらしい。
「馬鹿だなぁ、俺」
 ぼろぼろとみっともないほど泣きながらひとりごちる。
 けれど、気持ちは晴れ晴れとしていた。こんな気持ちになったのは久し振りだ。

 本棚の中で埃を被っていたスクラップブックを開く。新しいページに、小さい切抜きを貼り付けた。
 もうページが増えることは無いと思っていたが、これからどんどん厚くなっていく筈だ。それが楽しみだった。楽しみに思えたことが嬉しかった。

 今の俺は、あの時と同じように、2人の活躍に心躍らせ、2人がいつか大きな大きな舞台で輝く日を心待ちにしている。