刑事ドラマの幻覚1

警察に協力する立場だけど犯罪者にも通じてて傍観決め込んでる精神科医:古論クリス 
冤罪で弟が自殺したので復讐して回ってるゲスト犯罪者:葛之葉雨彦 
精神科医は直接冤罪事件に関わった訳じゃないけど偶然全てを知っていたにも関わらず何もしなかったのでお前も同罪だと拉致されて殺されかかってるという場面


 
 
 
 身体がぶつかる衝撃と共に、腹部に熱を感じる。刺されたのだと理解するのに少し時間がかかった。
『お前がアイツ等を止めていれば、告発してくれれば、弟は死ななかった…!』
 低い声には、地獄の底から這い出して来たような恨みや執念のようなものが感じられた。
 男の弟は冤罪で死んだ。警察官に憧れ警察官を目指していた青年は運悪く、警察関係者が起こした犯罪のスケープゴートとして仕立てられ、全てに絶望して拘置所で自殺をした。男が狙った人間は全てその企みに加担した者達だ。
 そして今、哀れな青年の兄である男に刺された医師は、その全てを知っていたにも関わらず、何も言わず何も行動を起こさなかった。行動を起こしていたとしても哀れな青年を救えたかどうかは分からないが、偶然であろうが企みを黙認していたのだから、当然復讐の対象にもなるだろうと他人事のように医師は思う。
 苛烈な感情をぶつけられて、ああそうか、と暗い倉庫の中でひとり納得をする。目の前の男は〝彼〟に似ているのだ。妹を玩具のように弄んだ挙句殺した犯人達へ復讐をするという、執念のみで生きている彼に。
『…どうして抵抗しない?』
『私を殺すことが君の選択なら、私はそれを受け入れるだけだ』
 刺されるがまま壁に縫い付けられている医師のその言葉に、今まで無表情だった男の瞳が僅かに揺らぐ。復讐相手にこんな反応をされたのは初めてなのだろう。比較的――あくまでも比較的、だが――非のない人間に、覚悟が決まっているような物言いをされた戸惑いというのもあるのかも知れない。
 彼とこの目の前の男は似ている。だが、決定的に違うとも思う。
それは彼が刑事という道を選び、男が犯罪者になるという道を選んだからという訳ではない。選んだ道と手段の違いは復讐の相手が違ったが故だ。
 彼と男の間にある決定的な違いは、残酷で冷徹であるかどうかなのだと悟る。いざとなればどこまでも残酷で冷徹になれる彼は、完璧な復讐者だ。目の前で瞳を揺らがせる男にはそれが足りない。
『君は優しい人間だな。復讐には向かない』
 きっと、目の前の男は人のことを思いやることの出来る優しい人間なのだろう。だから医師が抵抗しなかったことで、罪の意識があるからなのではないかと、止めることが出来なかった理由があったのではないかと、そんな人間を殺そうとしたのかと、考えてしまう。
 実際は医師に罪の意識はなく、止めることが出来ないような理由も無く、つまり殺すことを躊躇する理由など探してもどこにも存在しないというのに。
『ははっ、そんなこと言われたのは初めてだ』
 医師が素直に思ったことを口にすると、腹にナイフ刺されながら言う台詞かよ、と何処か悲しげな瞳で男は言う。
 自分にとっての悪を断罪する、それが復讐者だ。彼はそう信じて執念で悪を追っている。この男もそうだったのだろう。
 だが、目の前の男は揺らいでしまった。医師が惜しげもなく命を差し出したことで、自分にとっての悪を悪だと信じきれなくなってしまった。それは復讐者として在る為には致命的だ。
 だが、それもまた人間なのだろうと医師は思う。
『――気が殺がれた。…投降するよ』
『それが、君の選択なら』
 好きにすると良い、そう告げると男は力なく笑い、医師も血の引いた顔で笑顔を返した。
 
『どうして抵抗しなかった!!』
 助け出された医師の胸倉を掴んで彼はそう叫んだ。
 予想外の態度に少々医師は面食らうが、すぐに生きたくてもそれが許されなかった妹のことがあるのだろうと思い至り納得をする。
 暗い情熱を灯し続ける冷徹な復讐者でありながら、犯罪者以外の者が傷付くことを良しとしない彼もまた人間らしいのだろうと思う。
『同じことを、聞かれた、な…』
 怪我人だぞと同僚に引き剥がされながらもこちらへの怒りを収めようとしない彼に、苦笑しながら医師はそう口にした。
 抵抗しなかったことにも、善良な青年が陥れられようとしているのに何もしなかったことにも、理由などない。強いて理由らしいものを挙げるなら、抵抗する理由も、青年を救う理由も持っていなかったからだ。
『私は、――――――――い、から…』
『おい?! しっかりしろ!!』
『救急はまだか?!』
 思っていた以上に血を流しすぎていたらしい。身体から力が抜けゆっくりと意識を遠退かせる医師に、周囲の警察官達がばたばたと慌てて応急処置や無線で連絡を取り始める。

 遠くから救急車のサイレンが聞こえた気がした。

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「いやー、面白くなって来たね!!」
 カットの声がかかり演者達が映像のチェックをする中、主演のみのりがにこやかにそう口にする。
「無事に終えることが出来て安心しました」
 好評により続編の撮影が始まったドラマシリーズだが、新シーズンから準レギュラーとしてクリス演ずる精神科医が登場している。今回はその医師にスポットが当たった回の撮影であった。
 演技の経験があまり多くないクリスには荷が重いのではないかという意見もあったが、文学表現や他人の感情を察するのが苦手だという面が、感情が薄く人間味のない医師を演ずる上では却って利点として働いているようだ。
「あれ、雨彦どうかした?」
 大仕事を終えてホッとしているクリスとは対照的に、今回のゲスト出演者である雨彦は何やら浮かない顔をしている。
「いや…。古論、ちょいとお前さんの台本を見せてくれるか」
「はい、構いませんよ」
 クリスから台本を受け取り、何かをチェックした雨彦は該当箇所を見つけたのか、暫く台本を見つめた後にページを閉じて溜息を吐く。
「もしかして、雨彦の台本とシーンの展開が違ってた?」
「どうやらここのスタッフは食えない人間が多いようだ。いや、悪い意味じゃあないんだが」
 どれどれ、と雨彦の台本を見ると、雨彦の演じる役がクリス演じる医師を刺す辺りからの流れが全く異なっていた。
 雨彦に渡されていた台本では多少揉み合った後に医師が刺され、男が駆け付けた警官隊に射殺されることになっているが、クリスに渡されていた台本では抵抗せず刺されることになっており、以後は男が殺そうとして来ない場合にのみ『復讐には向いていない』と言うようにという指示が書いてあった。それ以外は『葛之葉さんに合わせて』としか書いておらず、いくつものパターンを想定していたらしいクリスの書き込みで余白が埋められている。
「雨彦の役が死ななくて良かったです」
 ホッとした様子でクリスがそう口にする。
 なんでも、刺された以降は雨彦のアドリブ対応によって役が死ぬか生きるかが決まることになっていたらしい。医師を殺そうとすれば警官隊が突入し射殺、医師を殺そうとしなければ生き延びる…という大まかな流れはそのように決まっていたとのことだった。
 例えお話だとしても死なないでいられるのであればその方が良いですから、と口にするクリスにみのりは同意を返す。
 尤も、ここで生き残ったとしてもこの先ずっと生きていられるのかは分からないドラマではあるのだが。
 なにしろ巷では『登場人物の死亡率が異様に高いドラマ』としてそれなりに話題になっているほどだ。
「人によって違う台本になってること、たまにあるんだよ。驚いただろ」
 主演であるみのりにも既に数度そんなことがあった。
 手間がかかるし展開によっては今後が変わってくる可能性もあるのだから大変だろうと思うのだが、スタッフ達は楽しんでやっているようだ。
「でも、よく演技を止めなかったね。驚いて素に戻っちゃう人もいるのに」
 ライブや舞台という中断することが流れを壊してしまうことを意味する物とは異なり、ドラマというものはやり直しが出来るものだ。予定と違う流れに驚き、中断を求めることはいくらでも可能なのに、雨彦はそれをしなかった。
 尤も、この現場では素に戻ってしまってもカットがかからないことも多いのだが。
「まあ、予期しないトラブルにはそれなりに慣れてるんでね」
 それに、なにより古論が落ち着いていたからな、という雨彦の言葉にみのりは納得をする。クリス演ずる医師にスポットが当たる回のゲストに同じユニットの人間を起用したのは、そういう出来る限り中断する事態が起きないようにするという意図もあったのだろう。既に別の回でそういう意図を含めたキャスティングがあったことを思い出す。
「明日最後のシーンを撮影して、この回はお終いだっけ。配信が楽しみだね!」
 雨彦もクリスも良い演技してたし本当に楽しみだな!とウキウキとした様子でみのりがそう口にする。先程の刑事を演じていた時とは百八十度違うその様子に二人は感心しつつも破顔した。