カルメン

「こんばんは」
 屋敷の戸を叩いて男――ジェイドはそう言った。さして大きな声ではなくむしろ小さい部類に入る声であったが、静かな屋敷にその声はよく響く。
「いらっしゃい」
 屋敷の主人である青年――ガイはそう言って自ら戸を開き、邸内にジェイドを招き入れた。
 数少ない使用人は既に皆休ませてある。日付の変わり目が近くなった今、邸内で起きているのは2人だけだ。
「別に無理矢理今日にしなくても良いんじゃないか」
 こんな時間に訪問してきたジェイドに、今更だが当然の意見を述べてみる。共に食事をする等の約束をしていても、ジェイドに急の仕事が入って反故になる事なんてザラにあった。だが今日に限ってジェイドは「必ず行きますから」と、頑として譲らなかったのだ。
「嫌ですよ。折角、珍しく貴方から誘って下さったんですから」
 一緒に食事をしないか、と持ち掛けたのは確かにガイだ。そして言われてみれば確かにガイから誘うことはジェイドに誘われるよりもずっと少ないかもしれない。だが、そうだというだけでわざわざこんな時間にずらしてまで律義に約束を遂行しようとするなんて。急に入ってきた仕事の量をガイもチラリと見たがお世辞にも少ないとは言いがたい量だったのだ。あのジェイドと言えど、徹夜を覚悟しなければならないような量だったとガイは記憶している。それを日付が変わりかけているとはいえ、確り終わらせたとは。
 呆れる反面、嬉しくもあった。あのジェイドが、自分の為に頑張ってくれたのだから。ただ自分が珍しく食事にさそったという、それだけの理由だけで。
「どうしたんですか、そんなに頬を緩めて」
 理由なんて分かっているくせに。そう思ったが、今日は素直になってやろうと思い直した。今日くらい素直になっても、罰は当たらないだろう。誰にでもなく言い訳をして、ガイは口を開いた。
「旦那がオレの為に無理をしてくれたのが嬉しいんだよ」
 直球な答えが帰ってくるとは予想していなかったのか、ジェイドが僅かに緋色の眼を見開く。そして数瞬の沈黙の後、ジェイドはガイを抱き締めた。
「ちょ、旦那!?」
「まあガイがもっと頻繁に誘いを掛けてくれるのなら、こんな事もしないんでしょうがねぇ」
「…悪かったな」
「良いんですよ。半分以上私の我侭ですから。それに」
「それに?」
「貴方の為なら、あの程度何て事ありませんよ」
 そう言って身体を放し、微笑む。そのジェイドの顔を見る度にガイは思うのだ。
(男だし喰えないしおっさんだしうさん臭いし死霊使いだし性格悪いし鬼畜だし大佐だし、家の再建だってしなくてはならない、のに。そんなこと関係ないくらい愛してるだなんて)
 ガイはジェイドがこうして自分の為に微笑んでくれるだけで途方もなく幸せだと思えるのだ。この関係が、ジェイドが何よりも大切だと思うのだ。
「ありがとう、ジェイド」
 嗚呼オレは今こんなにも幸せだ。
 溢れんばかりの幸福を感じながら、ガイは微笑んだ。