深夜近い刻限だというのに今日は随分と騒がしい。
全く、何だというのだ。徹夜3日目であるジェイドは刺々しい気分で目頭を押さえる。寝不足気味の頭にとって雑音は集中力を乱すモノ以外に他ならない。しかし、10年前にはこの程度で集中力を乱すことは無かった。自分ももう若くないなと、他人が聞けば全力で否定されるであろう事を考え、少し自嘲するように顔を歪める。
少し休憩を取ろうと席を立ち上がりかけた時、控え目なノックの音が聞こえた。
「誰だ」
「旦那、オレだよ」
「――どうぞ。入って下さい」
こんばんは、ガイはそう言って執務室に入って来る。
一体どうしたというのか。日中ならともかく、こんな時間にガイが理由も無く訪ねて来るとは思えない。
「それで、どうしたんですか?」
「…え?いや、こんな日まで旦那が仕事してるって陛下に聞いたから」
だからホラ差し入れ。そう言ってガイは手に持っていたバスケットを差し出す。中にはサンドウイッチやらの軽い食事が入っていた。
「あ、何か淹れるな。コーヒーと紅茶どっちが良い?それともミルクにするか?」
ぽんぽんと投げられる言葉にジェイドは少し気圧される。本当にガイは差し入れを持って来ただけのようだが、何故?3日程度の徹夜仕事なら今迄にも何度かあった筈だが、夜中にガイが訪ねて来たのは今日が初めてだ。大体、こんな日まで、というのはどういう事なのだろうか。
「…では、ミルクティーをお願いします」
「分かった」
僅かな動揺を隠しながら答えると、砂糖多めにしとくなーと言いながらガイは奥に行ってしまう。
事態を今一つ把握出来ないまま、とりあえずジェイドは受け取ったバスケットを持ってソファに移動した。
そろそろ日付を跨ごうかという時間であるのに外は未だに騒がしく、仕事で凝ったジェイドの頭を(悪い方向に)更に刺激した。不快だ、と溜め息を吐く。
「疲れてるみたいだな」
ふと背後から声を掛けられる。しっかりとジェイドの溜め息を聞いていたらしい。ジェイドを見る表情が少し厳しい。
「ほら、ミルクティー」
言葉と共に温かなそれが目の前に差し出される。ガイが近くに来た事も気付かないとは。ジェイドは内心でその事実に驚く。ガイだから、というのもあるのだろうが、本当に疲れているようだ。
「ありがとうございます」
「いいえ。…しかし、アンタも大変だな。こんな日まで徹夜とか」
「その事なんですが、今日は何か特別な日でしたか?」
この質問に、ガイはティーカップを持ったまま固まった。ジェイドをマジマジと見つめるその顔には「嘘だろ?」と書いてある。
「もしかして、気付いて無いのか…?」
「気付くも何も分からないから聞いているんですが」
「おいおいマジかよ…」
律義にテーブルにティーカップを置いてから、ガイは頭を抱える。そのままブツブツと何か言っているようだが、ボリュームが小さ過ぎてジェイドの耳には断片的にしか聞こえない。
「ガイ?」
「あ?ああ、悪い。あのな、旦那。今日の日付は?」
「ローレライデーカン、ローレライ、60の日ですが」
それが何か?とでも言い出しかねない雰囲気のジェイドに、ガイがっくりと肩を落とした。
「アンタ、思った以上にズレてんだな…。――明日から新年だろう」
「ああ、そう言われればそうですね」
だから外が騒がしかったのか、とジェイドは一人納得する。そんなジェイドを見て、気を使うだけ損だった、とガイが溜め息を吐いた。
「オッサンが1人で仕事しながら年越しなんて侘しかろうと思って差し入れ持って来たのに、コレだもんなぁ…」
「仕事ばかりなので感覚が麻痺してるんですよ」
「それは否定しないが…。それにしたってアンタのは酷いだろ…」
「いえいえ、新年に特別な感慨はありませんが、ガイが差し入れして下さったのは嬉しいですよ?」
「本当かよ…」
ガイは少しばかり不貞腐れたように呟き、それでも食事を進めてくる。どうせまともに食事なんてしてないんだろ、と言う辺り、少なくともそこ等辺の兵士よりはずっとジェイドのことを理解している。
「では頂きます」
「はいはい」
返事が投げやりだが、これが照れ隠しである事をジェイドは知っている。今回は多分、ジェイドが全く新年を気に掛けていなかったのに、わざわざ気を利かせて食事を作った事が恥ずかしくなったという所だろう。彼の感情表現の方法がこうして些細にでも増えたというのは結構なことではないか、とジェイドは思う。
「…嗚呼、ガイ」
「ん?」
そんなガイの様子を内心嬉しく思いながら、ジェイドは素知らぬ顔で声を掛ける。返事をするガイの表情はそれでも柔らかに見えた。全くと言って良い程に警戒の解かれた表情。――これには、少しばかり自惚れても許されるだろうか。
「あけましておめでとうございます」
そんな思いを隠して何の変哲も無い新年の挨拶を発する。但し、心からの笑みを添えて。
「……おめでとう」
ティーカップに新たなミルクティーを注ぎながら数拍置いて返ってくる、やはり変わり栄えの無い新年の挨拶。隠そうとしているのだろうが、赤くなった耳はしっかりジェイドの目に留まっていた。それを敢えて指摘せず、ジェイドはただ満足気に微笑む。
執務室作り付けの時計は0時2分を指していた。