愛しき戦いの前哨

「あの子は、近付けば近付く程、離れて行くんです。何時まで経とうが、どれ程歩み寄ろうが」
 言葉を止めたジェイドは、酷く痛ましい眼をしていた。あのジェイドがこんな表情をするなんて誰が想像しただろうか、と何処か頭の冷静な部分でピオニーは思う。
「ガイラルディアは、未だお前を信頼してないって事か?」
「いえ…、信頼は――自分で言うのも何ですが――誰よりもされていると思います」
「…どういう事だ?」
「無意識なのか意識的なのかまでは分かりませんが、彼は、強くあろうとしているんでしょう。プライドの問題というよりは、ヒトに心配を掛けない為に」
「迷惑?」
「ええ。彼は自分が他人に心配を掛けることをイコールで迷惑と結び付けている節がある。……幼い頃に、家族を亡くし、他人の世話になっていた影響なのでしょう。一度弱さを見せた相手には殊の外、心配を掛けまいとするようです。これ以上この人を心配させてはいけない、とでも思っているのでしょうね…」
 弱っている本心を隠す為に彼は仮面を被る。自身を守る為では無く、他人を心配させないように。
 恐らくそれが一番初めに彼が被った仮面なのだろう。何処か歪な、身を守る為の仮面よりも、それはずっと自然だった。――心を許し合う関係になってからも暫く、ジェイドが気付かなかった程に。
「そう、か…」
 ピオニーが呟く。掛けるべき言葉が見つからなかった。
 いくら仮面を剥がしても、気付けばもう次の仮面を――更に自然に、被っている。仮面に気付かれ剥がされる度、次の仮面は気付かれない様、更に巧妙なものになって行く。
 それが保身の為の仮面であったならどれだけ良かっただろうか。そうであったなら、信頼に足る人間であると、傷付けるつもりなど無いのだと理解させれば良いのだから。
 だが、彼は自分自身の為にではなく、他人を心配させぬ為に仮面を作る。心配を掛けたくない一心で、その人が望む形の仮面を作り上げるのだ。もう弱っていないのだと、心配する必要は無いのだと認識させる為に。
「彼は近しい人よりむしろ、無関係な他人に対しての方が弱みを見せるのだと思います。勿論、相手にそうとは気付かせない程度、緩んだ拍子に少しばかり覗かせるだけではあるでしょうが」
 それは何と悲しい事だろう。例えどれ程近付こうがそれは見かけだけの事で、深い所ではガイはずっと独りなのだ。苦しい事も悲しい事も吐き出すことが出来ず、全て独りで飲み込んでしまう。あまりにも周りを、周りの人々の幸せを優先するせいで。
「時間を掛けて分からせる以外には、無いんだろうな――」
「そう、ですね」
 心配させることは悪いことではないのだと。自身の苦痛を飲み込むだけでは幸せになれない人間が居るのだと。ガイの幸せを願う人が居るのだと。ガイが真に幸せになることで幸せになれる人間が居るのだと、長い時間を掛けて分からせるしかないのだろう。聡明な彼は頭では恐らくそれを分かっている。ただ今までの生活で、それがどうしても行動に移せなくなっているだけだ。
(いや、そうであって欲しい、か…)
 どうしても、ガイには幸せでいて欲しいのだ。その為には、此方の望む仮面を被ったガイを壊さなければならない。胸に押し込めている感情を全て吐露させなければ、素顔のガイを見ることは叶わないのだから。ジェイドたちが望むのは、素顔のガイであり、そんな彼の幸せなのだから。
「――まあ、気長にいこうじゃねーか」
「言われなくとも、そのつもりです」

 長い戦いになりそうだ、とジェイドは思う。だが、それを永いものにする気など毛頭無かった。