嗚呼駄目だ、眩暈がする。
戦闘中、傾き倒れかけた身体を支えられる。咄嗟に自分を支えたものを見やると、そこには後衛に居る筈のジェイドが居た。
「確りしなさい」
「あ、ああ…、悪い」
些か硬質なジェイドの声を受けて、ガイは体勢を直す。
眩暈は未だ止んでいないが、それでも戦闘に支障が出ない程度までには引いていた。
「ガイ、大丈夫か?!」
ガイが体勢を崩したのに気付いたのだろう。ルークが魔物を屠りながら尋ねて来る。
「ああ、大丈夫だ!」
大丈夫だ。大丈夫。ルークに返すと共に心内でもそう自分に言い聞かせ、ガイは再び敵に向かって走り出す。身体を支えてくれたジェイドは既に後衛まで下がっていた。
大丈夫。もう一度自身に言い聞かせ、意識を眼前の敵に集中させる。唸りをあげて飛び掛かって来る黒い魔物。迷わずに片刃の剣で真っ直ぐに斬り伏せた。
一行はその日の内に町へ到着し、久し振りに宿を取ることが出来た。
年少組を中心に、疲れただのやっとだのと零していたが、そうして口に出せているのだから特に心配は無いだろう。実際疲れているのだろうが、一晩ベッドで寝てしまえば解消されるのは目に見えている。
久し振りの宿で多少受かれたのか、普段よりも皆の口数が多かった気のする食事を終えてから暫く後、就寝まで各々に与えられた自由時間。宿の狭い廊下で、ガイはジェイドに捕まった。
「ジェイドか。どうかしたかい?」
「どうかしているのは貴方の方でしょう」
ぴしゃりと放たれた言葉は、昼間の戦闘時に聞いたものと同じで硬質的だった。冷たいと言い換えても良いかも知れない。
「ははっ、オレがどうかしてるって?気のせいじゃないか?」
ジェイドの言葉は間違い無く事実を捕らえ、差している。だがそれに気付かない振りをして、答えた。誰よりも確かに感じているそれを、嘘だと思い込んで。
「倒れられてからでは困るんですよ」
「大丈夫、……っ?!」
俯き視線を逸らして会話をしていると、突然鳩尾の辺りに感じた圧迫感。腹部を見やると、青い軍服の袖が目に入った。
此方に加えられる力は目の前の人物が譜術士であるという事実を一瞬忘れさせる(或いはその事実を疑う)程に強い。この細身の身体の一体何処にこんな力が隠れていたのだろう、と執拗な圧迫感を感じながらも何故か妙な程冷静にガイは思う。軽くなっていた眩暈が、再び襲い掛かって来る。
「ならどうして今、貴方はされるが儘になっているんですか。大丈夫だと主張するならどうぞ、遠慮せず私を振り解いて下さい」
貴方と私の力の差を考えれば簡単でしょう何なら突き飛ばしたって構いませんよ、と冷ややかな笑みでジェイドが言った。繕っているのでもない、胡散臭いというのとも違う笑みで。
嗚呼、ジェイドのこんな表情を初めて見た気がする。この人は今怒っているのかな。そうなら何故怒っているんだろう。怒るくらいなら放って置いてくれれば良いのに。だってその方がきっとジェイドらしい。オレもその方が都合が良いし。迷惑になるというのは分かるけど、それだけならここまで怒る必要は無い気がする。それに、そうそう足を引っ張るつもりはない。まあ、昼間は確かに少し下手をやってしまったけれど。そういえばあの時ジェイドがフォローしてくれたんだっけ。
再び威力を増して来た眩暈と相変らず鳩尾にかかったままの圧迫感、更にそれに伴う酸欠により、ぐらぐらする頭でそう思った。
ガイが自身を襲うあまりの不調に耐え切れず膝を突きかけると、その身体をふと圧迫する事を止めたジェイドの腕が支える。
「私を振り解けないばかりか立っている事すら危ういならそうと、早く言いなさい」
相変らず硬質な声で、ジェイドが言う。
「ああ…。でも、大丈夫、だ」
「いい加減になさい」
そう短い言葉を叩きつけると、ガイを支えたままジェイドは歩き出した。ジェイドが支えるというよりはむしろ身体をきつく握ったまま進むので、自然とガイは引き摺られるような形になる。
笑いの形を取ることを止め、無表情に近い顔をしたジェイドの横顔を見ながら、ガイは何故ジェイドがこんな表情をしているのだろうと思った。自分がそうさせていることは確かなようなのだが、明確な理由は分からない。
半ば無理矢理に引き摺られながら当てられた部屋に連れて来られる。ジェイドはらしくもなく無遠慮に扉を開き、室内にガイを投げ入れた。
上手く受け身を取れず、したたかに打ち付けた腰が鈍く痛む。
「なん、だよ…!」
「我慢強いのは確かに貴方の美徳なのかも知れませんが度を超えています。正直言って見苦しい。傍から見ていて不快で仕方が無いんですよ」
なにが、と口にしかけたガイを制止してジェイドが続ける。
「この所体調が優れずにいるのも、満足に食事を取れていないのも、分かっているんです」
先刻だって戻してきたばかりだったのでしょう、という言葉を聞いて、ガイは深く項垂れた。確かにその通りだった。皆で食事を取ったのは良いものの、堪え切れず宿のトイレで嘔吐した。そして、部屋に戻る所でジェイドに捕まったのだ。
「確かに、その通りだけど。でも、だいじょ」
大丈夫だから、と口にしかけた所で言葉は乾いた音に阻まれた。強制的に動かされた視界と、左頬への鋭い衝撃。数瞬遅れて感じた熱。それらを認識してガイの脳は結論を出す。ジェイドに叩かれた、らしい。しかし、何故?
「私の言葉を、聞いていましたか」
「聞いてた、けど」
意味が分からない。どうして、ジェイドがオレを叩くんだ。どうして、ジェイドがそんな顔をしてるんだ。どうして、
「分かりませんか」
溜め息を吐きながら観念したようにジェイドが言う。それは確認というより独り言に近い響きを持っていた。
「なに、が」
「私は貴方のことを心配しているんです」
ジェイドが、オレのことを、心配して?脳内で告げられた言葉を反芻するが、理解が出来なかった。どうして、とそれだけが口をついて出てくる。
「人の心配をするのに、理由が必要ですか?」
それはそうなのだけれど、でもそうではなくて。
「――オレ、心配されるようなこと、した…か?」
ガイの言葉を聞いてジェイドは一瞬呆けたような驚いたような表情をし、直ぐさま顔を顰めた。それにしても今日は珍しいジェイドをよく見る日だな、と眩暈にぐらつく頭でぼんやりと思う。
「貴方は今の貴方の体調を、心配するに足らないとでも云うんですか」
信じられない、というニュアンスを含めてジェイドが零した。
「自分に無頓着な人だとは思っていましたが、まさかこれ程とは…」
ブツブツと独り言を言い始めたジェイドをガイは呆気にとられた気分で眺める。ジェイドの考えが完全に読めた事など一度として無いが、今日は特に訳が分からない。
「…分かりました。とりあえず貴方は此処に居なさい。私はルークに部屋を替わって貰って来ますから」
独り言が止んだかと思うと、ジェイドはやや早口でそう告げ(というよりは宣言に近いが)、部屋を出て行った。
全く考えが至らなかったが、そういえば確かにこの部屋は今日ガイとルークが使う筈だったのだ。先程のやり取りの最中にルークが此処にやって来なかったのは幸いだった。驚くのは当然だろうが何より混乱するだろうし、何より自分の今の体調を知られたくはない。最悪、事態がよりややこしくなっていたかも知れない。そういうガイも、良く事態を理解してはいないのだが。
(何だか、凄く疲れたな…)
その場に座り込んで、ガイはゆっくりと溜め息を吐いた。
ジェイドがルークと話を付けて部屋に戻ると、ガイは部屋を出る前と変わらぬ位置――ベッドのすぐ前――に座り込み俯いていた。
移動する事すら出来ぬ程体調が悪いのか、この状況に思考が付いて行けていないのか、何らかの意思表示なのか、あるいは全てに於いてどうでも良くなったのか。
前3つはともかく、最後は無いだろうと思いながら声を掛ける。
「何をしているんですか」
「――ジェイドか」
コレは重症だ、とガイに気付かれないように溜め息を吐く。
ルークと部屋を替わって貰うと言って部屋を出たというのに、一体ジェイド以外の誰がこの部屋に無断で足を踏み入れるというのか。
「体調が優れないのならそんな所に居ないでベッドで横になりなさい」
この件に関して、言い方になど意味が無いということを先のやり取りで学んだジェイドは、半ば投げ捨てるように言葉を発する。
「……なあ、ジェイド」
「何ですか」
優しく言えば逃げ、強く言えば隠そうとする、そんな人間に対しての適切な物言いなどあるのだろうか。
「何でアンタが怒るんだ?」
座り込んだままジェイドを見上げて、ガイはそう口にした。
ジェイドが部屋から出ている間、ジェイドを怒らせた理由をずっと考えていたのだが答えらしきものは見つからなかったのだ。
体調を崩したから、それを隠していたから、旅をする上で足手まといになるから、今日の戦闘で下手をしたから。どれも当て嵌まるようでいて、どれを当て嵌めてもしっくり来ない。
どの理由も、ガイの知り得るジェイドという人物には似つかわしくないのだ。
「何で、アンタがオレを心配する?」
糾弾するのではなく、ただ静かに問うガイ。恐らく、明確な理由を答えなくてもガイはそのことについて追求などしないだろう。
「取り合えず、そこから移動しなさい。話はそれからです」
答えないという選択も出来たが、ジェイドはそれをしなかった。
言葉を受けて、ガイはゆっくりとベッドに腕を突き、身体をずらす様にしてベッドの上へ腰を乗せた。その際に強い眩暈がしたらしく、顔を顰めて波を遣り過ごす。
自力で立ち上がることも満足に出来ないような状態にも関わらず自身を心配するに至らないと認識しているガイに、ジェイドはまた溜め息を漏らす。1日でこれ程溜め息を吐いた事が今までにそうあっただろうか。
「…貴方は心配される理由が分からないようですが、仮にルークが今の貴方の状態ならどうです」
とても心配するんじゃありませんか。
部屋を出る前とは打って変わって、静かにジェイドが言う。
「まあ、するだろうな」
それがルークでなくとも、ティアやアニスやナタリアやイオン、あるいはジェイドであったとしても、ガイは同じように彼等の心配をするだろう。
「なら、どうして貴方を心配しないで居られるんですか」
誰かが体調を崩したと知ったなら普通の人間は心配をする。それが仲間であれば尚更だろうに。
「だって、オレはルークじゃないだろ」
至極当たり前のように、ガイはそう言った。
当然だ、ガイとルークは別人であり、同一人物では在り得ない。同じ人間は2人と存在しない。それはオリジナルとレプリカであり完全同位体であるアッシュとルークにも当て嵌まる、当然の事実だ。
だが、ガイが云ったのはそういうことではない。
ガイがガイであるが故に、心配する必要が無い。つはりは、自分は心配するに至らない――心配される資格の無い人間なのだと、そう云ったのだ。
「――それは、本気で言ってるんですか」
「少なくとも、ふざけて言う事じゃないな」
事も無げに言葉を発するガイに対して、不快な何かが込み上げて来るのをジェイドは感じる。
恐らくガイ自身に自分を蔑ろにしている自覚など無いのだろう。それがより、ジェイドを不快にした。
余りにも酷い言葉に、眩暈がしそうだ。
「貴方は何故私が怒るのかと聞きましたね?」
「あ、ああ…」
「貴方が、自覚しないからですよ」
生きたいと、生きなければならないと云う癖に、ガイは自身の傷等に関してあまりにも無頓着なのだ。
最優先事項は常に他人であり、自身の優先順位は余りにも低い。
例え自分が傷付こうが、他人を護る為ならば躊躇しない。今だって、考えているのは自分の体調不良で仲間の足を引っ張らないようにするだとかそういったことなのだろう。ロクに食事も、立ち上がることすら満足に出来ない程だというのに。
それがとても気に入らない。――ガイに理解する事は出来ないだろうが。
「じ、かく…?」
「……兎に角、今日はもう寝なさい。明日も今日のような状態であればしばらく此処に留まる事にします」
「だから、オレは大丈夫だって…」
「良いから寝なさい。食事もまともに採れない人間を連れ歩いた挙句、倒れられては迷惑です」
「それは…」
だが結局、ガイを説得する為には他人を引き合いに出すしかなかった。そうしなければガイは先のように「大丈夫」の一点張りで引かなかっただろう。その事実がより一層ジェイドに不快感を募らせる。
「体調が優れない自覚があるのなら、さっさと治す事に専念しなさい。無理に強行するよりもそれが一番効率が良い」
「……――分かった」
畳み掛けるようなジェイドの言葉にガイは観念して上着に手を掛ける。
身体を動かす度に襲い来る眩暈に耐える為、動作の一つ一つがゆっくりになってしまうが仕方ない。
酷く時間を掛けて上着を脱ぎ終わり、ベッドの上に横になる。
「…おやすみ」
「おやすみなさい」
目を閉じる。
感じる眩暈のせいか、あまり良い夢は見れそうに無かった。