コツリコツリと2人分の足音が響く。酷く広い空間に居るというのにそこはとても静かだ。しかしそれは当然だった。そこには2人しか存在していない。広さに不釣合いな人数。要らぬ気遣いの産物だ。有り難くも何ともない。
不自然な静寂の中で1人が言葉を発した。特に相手を気遣う様子も無く、さらりと。
「普段気を利かせて欲しい時には気を利かせないで、こういう時にばかり気が利くってのも考え物だな」
「仕方ないですわ。一応公の席なのですし」
「一応とは何だ一応とは。しかしアレだな、ジェイドと交流のある人間はみんなアイツに性格が似てくるのか?ガイラルディアも段々ジェイドの奴にモノの言い方が似てきてなぁ。そうなるとオレはいずれ可愛くない方のジェイドに囲まれて暮らさねばいけなくなる」
そんなのは断固御免だ。可愛い方のジェイドなら考えてやっても良いがな。等と捲くし立てる年上の男を見て、ナタリアはよくもこう滑らかに如何でも良い事ばかり話せるものだと関心する。
「あまり気を使わなくて結構ですわよ」
その些細な一言にピオニーの表情が一瞬凍り付いた。
ピオニーは気を使っていないつもりだったが、そうではないとナタリアは感じていた。気を使わせない為に気を使わない様子を装っている、と。先ほどからコロコロと変わり続ける話題がその証拠ではないだろうか。普段からこの人物と顔を突き合わせている訳ではないが、その位は分かるつもりだった。それが無意識なものか意識的なものかまでは判断が付かなかったが。
「あー、気ィ使ってたか?オレ」
「少なくとも私にはそう感じられましたわ」
ホント、ジェイドみたいな言い方だなぁとぼやきながら頭をかく。今度は正真正銘気を使ってのことではない、とナタリアは思った。
そもそもナタリアがグランコクマ呼ばれたのは何かの話し合いの為だ。何についての話し合いなのかは忘れてしまった。それはピオニーも同じだろう。話し合いなどというのは建前で、内容は縁談だという事が分かっていたから。そして事実、こうして2人で人気の無い所を散歩…というよりもただ歩き回っている。
40歳を過ぎた皇帝と数年前に成人の儀を終えた王女。年齢差は20歳近くにもなるが、政略結婚であれば珍しい事例でもない。大方、友好関係にある2つの国の世継ぎがそれぞれ男女だというのだから平和の象徴として結婚してしまえば良い、という安易な考えの下にこんなことになったのだろう。おまけに双方共に結婚する様子が全く見られないのだから、お誂え向きではある。まあ、考えそのものは悪くは無いとは思うけれど。
「いっそ思惑に乗って結婚でもしちまうか?」
唐突にピオニーが言う。
その言葉に別段驚いた様子も見せず、ナタリアが返した。
「お断りしますわ」
「だよなぁ」
別段傷付いた様子も無くピオニーは笑う。
「そりゃ、他の女を想い続ける40男とは嫌だろうなぁ」
おまけに歳の差が自分の年齢ほどもあるときたら、と続けた。まるで面白い冗談でも言った時のように明るく楽しげに。
「あら。でしたら、私だって一人の殿方を想い続けていますわ」
そんなことはお互い様でしょう?とばかりに告げる。ピオニーは彼女の真意が分からなかった。結婚したくないのならそんな事言わなくても良い、元々ピオニーだって本気で結婚の話を切り出した訳ではないのだから。なのに何故そんなことを言うのだろうか。言われなくともその事は知っている。いや、確かにその話題を持ち出したのは他でもないピオニー自身ではあるのだが。
「もう帰って来ない方を」
1年程前、『ルーク』は帰ってきた。そして、その人物はルークでありアッシュであったが、同時にルークでもアッシュでもなかった。2人の記憶を内包した新たな人間として、言わば『第3のルーク』として彼は帰ってきた。
違う2人の人間の記憶を持てばそれは以前の人間とは別の存在となるのは当然だ。他人の記憶と思考を持って以前の人格をそのまま形成できるはずが無いのだから。想像しようとすれば想像ができたはずの結果。そして誰も想像しなかった結果。――もしかしたらジェイド辺りは解っていたのかも知れないが。
現在、『ルーク』はファブレ家で生活しているとピオニーは聞いていた。ファブレ夫妻は戸惑いつつも『3人目のルーク』を自分の息子として喜んで迎え入れてくれたらしい。だが、ナタリアとの婚約は本人等の意思もあり無効となったと聞いた。
だからこそ、この馬鹿げた縁談の話が出てきたのだが。
「『ルーク』がいるからか?」
「違いますわ」
違うのだろうと思いつつ尋ねたピオニーの予想通りに、ナタリアは答えた。一拍おいて、彼女は続ける。
「『ルーク』には、自由に選んで欲しいのです。ルークにも、アッシュにも縛られる事なく」
ルークはティアを愛していた。アッシュはナタリアを愛していた。それは事実だ。だが、『ルーク』は彼等の記憶を持っているだけで、彼等ではない。彼等の記憶と感情に縛られないで生きて欲しいというのが、ティアとナタリアの想いだった。そしてそれは『ルーク』にも届いている。だからこそ、ナタリアと“ルーク”の婚約は無効になったのだろう。破棄ではなく、無効に。
「なら、どうしてこの話を受けたんだ?」
純粋な疑問として、ピオニーは尋ねた。一刻も早い結婚と世継ぎの誕生を望まれているピオニーと違って、ナタリアはまだ若い。そこまで自体は逼迫していないはずではないか。
この縁談の話を蹴ることだって可能だったはずだ。蹴ったところで国際問題に発展する事などありえなかったし、大体、その話を持ち出した連中もキムラスカ側が本当に乗ってくるとは思っていなかったようなのだ。
「私、陛下と結婚しても良いと思っていますのよ」
ピオニーは不意打ちの答えに驚いた。まさかそんなことを彼女が思っていたなんて、予想もしていなかったから。
「陛下は良い方だと思っていますし、年齢なんてあまり気にすべき事ではないと思いますの」
結婚してから芽生えるものもある、と聞いたこともありますし。と柔らかに言うナタリアにかろうじて声をかける。吃驚しているのを悟られないだろうかなんて事を頭の片隅で考えつつ。
「でも、さっきは断っただろう?」
はっきりと。聞き間違えるはずが無い、この静寂の中この耳ではっきりと、聞いたのだから。
するとナタリアはにこりと花のように微笑みながら答えた。
「だって貴方、私に断られるのを期待していらしたでしょう?」
この娘は、聡い。まさかそこまで見透かされているなんて。
叶わねぇなぁ、とぼやきながらピオニーは両腕を頭の後ろで組む。
「じゃあ、オレの決心がついたら受けてくれるのかい?」
「ええ。…でも、早く決めて下さらないと私、他の方と結婚してしまうかもしれませんわ」
お互いに笑みを浮かべながらそう交わした。