それは些細な特別

 今日はガイの誕生日である。
 が、祝いの言葉の書かれたメールやら電話やらが来ることはない。あっという間に古い型になってしまった銀色に輝く丸みを帯びた携帯電話は、昨日の夕刻に年下の幼馴染みとメールを交わして以降沈黙を守っている。
 成績優秀品行方正運動神経抜群、更に人当たりが良く人好きのする人物であるガイに友人が居ない筈も無い。だというのに今朝から一度も祝いの言葉をかけられない理由は、ただ他人に誕生日を告げていないからというだけなのだが。
 誕生日を筆頭に記念日やらイベントやらが好きな女性と違い、男というものは案外そういったことに無頓着だ。女性は友人の誕生日を盛大に祝うそうだが、男同士であまりそういった話は聞かない。大抵、「オレ今日誕生日なんだよねー」「へーそうなんだ、おめでとう」で終わりだ。したとしても普通はせいぜい昼食を奢ってやる程度だろうとガイは思う。夫が結婚記念日を忘れていたことに妻が怒る等ということからも分かるが、男女の間にはどうにも埋め難い感覚の不一致というものがあるらしい。
 女性の友人が居ない訳でもないのだが、ガイが女性恐怖症という厄介なものを抱えていることもあって、数は男の友人に比べると格段に落ちる。
 まあ長い御託を並べくどくどと述べたがつまりはガイには取り立てて誕生日を尋ねて来る友人が居らず、よって誰もガイの誕生日が今日であることを知らないのだからそれを祝うメールや電話が来る事はあり得ないという訳だ。
 そのことをさして寂しいとも思わないし、そもそも自分の誕生日というものに何の感慨も覚えないのだが。
 自分が誕生日を迎えたからといって周りの何が変わる訳でもなく、日々は同じように過ぎて行く。幼い頃には嬉しかった誕生日も、そのことに気付いて以来大したもので無くなってしまった。我ながらスレた成長を遂げたものだとガイは思う。

 さて、ならばどうしてガイにとって些細な日に過ぎない自身の誕生日についてこうして熟々と考えているのか。
「お、あれケーキ屋じゃねぇか?」
「いえアレは最近出来た惣菜屋です」
「へー、惣菜屋ねぇ…」
 変わってんなぁ。しかし何だってケーキ屋っぽい外装にしてんだか紛らわしい。と、運転席で文句を言っているのはガイの姉――マリィベルの所謂彼氏という人物であるピオニーだ。
 ガイにとってガイの誕生日は特別な日でもないのだが、家族にとっては違う。両親が死んでからというもの、歳の離れた姉のマリィは特に意気込んでガイが年頃になろうがなんだろうが毎年変わらず盛大に祝ってくれていた。多分、幼くして親を失い不憫な思いをさせているだろうガイへのせめてもの思いやりなのだろう。もしかしたら盛大にガイの誕生日を祝うことは、歳若くして幼い弟を女手一つで育てていかなくてはならなくなった彼女自身の救いにもなっていたのかもしれない。
 さて今年も手製のケーキを作ると意気込んでいたマリィだったのだが、今年はどうしても外せない仕事が入ってしまったらしくケーキが作れなくなってしまった。だから、こうしてピオニーとケーキ屋を探しているのだが。
 しかしこうして探してみると案外見つからないモンだなぁ、とぼやくピオニーに大手チェーン店のケーキで十分だと言うと、それで済ませたらオレがマリィに怒られちまうと返されたのは既に数十分前の事だ。怒った姉が恐ろしいのはガイも身を持って知っている事実であるが、それ以上にピオニー自身も自分のことをうんと可愛がってくれている事をガイは知っている。こうして自分の為に短くない時間奔走してくれているのがその証拠だ。
 誕生日を祝ってくれる事に対しては感謝しているし、嬉しいと思う。だが、自分自身がどうでも良いと思っていることなのに、これ程気を使わせ、手をかけて貰っているということに少し罪悪感を覚える。自分を大切に思ってそうしてくれているのは分かっているからこそ、実は誕生日なんて如何でも良いと思っているということを未だに伝えられずに居るのだが。
「あ、今度こそ間違いなくケーキ屋だろ、アレ!」
 そう言うピオニーの顔はまるで子供のようだ。
「良かったですね」
「あのなぁ、お前のケーキ買いに来たんだろうが」
「ピオニーさんがあんまり嬉しそうだったのでつい」
 お前なぁ、と頭を笑いながらくしゃくしゃにされた。ピオニーと会話する時ガイは、兄というのはきっとこういう感じなのだろうなとよく思う。
 崩れた髪形を整えながら、男2人でケーキ屋に入るという傍から見れば不自然な事態に気付いてしまった。だが、ここで店に入ることを拒否しても仕方がない。ピオニーも気にしていないようだしいっそ、と開き直って店の扉を開けた。

 

「おかえりなさい!!」
 ピオニーと2人でなんとかケーキを手に入れて帰宅したガイに降り注いだのは姉の声と軽い破裂音、そして紙テープと紙吹雪だった。
「ね、姉さん…?!」
「おいおいマリィ、人にクラッカー向けんなよ。危ないだろ?」
「アラ大丈夫よ。可愛いガイラルディアに間違っても怪我なんてさせないわ」
 にっこりという擬音が付きそうな程見事に美しい笑顔を見せ、マリィはそう言い切った。「そりゃそうだけど吃驚するだろう」「それは貴方が軟弱だからよ」「言うねぇ、そんな男を彼氏にしてるクセに」「自覚があるなら精進して頂戴」などという会話を笑顔で何気無く(事実日常会話ではあるのだが)交わす2人の間でフリーズしていたガイが漸く、口を開いた。
「姉さん、仕事だったんじゃ…?」
「あんなもの、もう終わらせたに決まってるじゃない」
 当然のように答えを返すマリィに、ガイは眩暈を覚える。少なくとも休日出勤してまで行わなければならない仕事だった筈だ。それをあんなもの呼ばわりするなんて…。マリィの発言は自分を大切に扱ってくれている証拠なのだろうが、それでも些か行き過ぎているような気がするガイだった。
「さ、仕事の事なんて忘れましょ!今日は何たってガイラルディアの誕生日なんですから!」
 時間が無くてケーキは作れなかったけど、お料理の方は頑張ったのよ!と満面の笑顔で告げるマリィを見るとガイは何も言えなくなってしまう。例え自分の誕生日に何の感慨も覚えなくても、それを祝ってくれる家族に感謝を感じぬ訳ではないのだから。だからこそやはり、自分と家族の間にある温度差に罪悪感を感じるのだが。
「そう!大切な事を忘れていたわ。ピオニー、貴方まだ言って無いわよね?」
「当然だろう、一緒に言うって決めてたんだから」
 なら良いの、とマリィが言うと2人は一緒にガイの方に振り向き同時に、言った。
「誕生日おめでとう、ガイラルディア」
 向けられる2つの温かい笑顔を見て、ガイの表情も綻ぶ。
「ありがとう、ございます」
 これで自分が心から自分の誕生日を喜ぶ事が出来たら、どんなに良いだろうと思った。思った所で、どうしようもない問題なのだが。

「今日はガイラルディアの大好物ばかりよ」
「マリィは料理上手いからなぁ、楽しみだ。なあ、ガイラルディア」
「まあ、誰も貴方に食べさせてあげるなんて言ってないわよ」
「オレだってガイラルディアの為にケーキ屋探したんだから食う権利はあるだろう」
「姉さん、ピオニーさん頑張ってくれたんだし。それに、みんなで一緒に食べた方が美味しいって」
「本気で言ってる訳無いでしょう。冗談よ、冗談」
 さあ、ちょっと早いけど御夕飯にしましょう、というマリィの明朗な声でささやかな誕生パーティーは始まった。

 

 家族だけで行ったささやかな誕生パーティーも終盤に差し掛かり、和やかな空気が流れた頃。
 ガイの携帯電話に1通のメールが届いた。
 差出人を見ずとも、個人設定された着信メロディで誰から送られてきたのかが分かる。2人に断りを入れてから、何だろうと思いつつ文面を開くと其処には『今から出られますか?』とだけ書かれていた。彼らしいと言えば彼らしいシンプルな内容だなと思い、苦笑する。
「姉さん、」
「――良いわよ、行ってらっしゃい。ケーキがまだ残ってるけれど、まあ少し位遅くなっても構わないから」
 普段から少々心配性の気が有るマリィも、流石に今日ばかりは寛容だった。相手が分かっているから、というのも勿論あるのだろうが。
「ありがとう、行ってきます!」
 先程までとは(無自覚なのだろうが)表情を変えて部屋を出て行くガイをマリィは少々苦笑しながら見送った。
「おーおー、嬉しそうな顔して」
「あの子のあんな顔を見ているだけで、幸せになれるのよね」
「そうだな」
「相手があの眼鏡だってことだけがちょっと気に喰わないけれど」
「ははは、まあそう言ってやるなって」
 何だかんだ言いつつ結局はあの笑顔に絆されてしまうのだと、2人は笑い合う。

 すっかり陽も暮れ、空には星が瞬いていた。そんな美しい空を見る余裕も無く、ガイは自宅近くの駐車場へ走る。彼と待ち合わせをする時、指定が無い場合は殆どがそこが待ち合わせ場所だった。
「ジェイド!」
「夜分に呼び出してしまってすみません。仕事が立て込んでしまいまして」
「いや、別に全然構わないよ」
「ではガイ。――遅くなってしまいましたが、お誕生日おめでとうございます」
 柔らかく微笑み、ガイの頬にキスを落としながらジェイドはそう言った。
「あ、や、え…!あ、ありがとう…」
 突然のキスに驚き、顔を真っ赤にしながらそれでもやはりどこか嬉しそうに言うガイをジェイドは愛おしそうに見詰める。付き合って既にそれなりの月日を過ごしたというのに、この年下の恋人は未だにこういった直接的な愛情表現に慣れないらしい。
「それと、プレゼントです」
 未だ赤い顔をして目を瞬かせているガイにジェイドはラッピングの施された小さな箱を渡す。ガイが了承を貰い包装を解くと、中からは美しい細工の施された懐中時計が出てきた。
「オートマタ式のミュージカル・ポケットウォッチというんだそうです」
 そう言うとジェイドは懐中時計を手に取り、裏面を向けて何やら操作をする。すると、
「う、わあ…」
 澄んだ音と共に時計に細工された人形たちが動き出した。その緻密で繊細な様子にガイが感嘆の溜め息を漏らす。仕掛けはそう長い間動いてはいなかったが、それでもこのすっぽりと掌に収まってしまうような大きさの時計にここまでの仕掛けをすることがどれだけ難しいのかは分かる。しかも、ただの時計としたって素晴らし過ぎる程の細工が施されているのだ。
「こういうもの、好きでしょう?」
「ああ、いや、好き、だけど…。こんな凄いもの、貰っちゃって良いのか…?」
 ガイが遠慮がちに尋ねた。その様子にジェイドが柔らかく微笑んで答える。
「当然でしょう、貴方の為に買ったんですから」
「でもこれ、多分すごく高いだろ?」
「プレゼントなんですから値段なんて気にしなくて良いんですよ。それとも、気に入りませんでしたか?」
「っ、そんなことあるもんか!――大切にする、ありがとう」
 そう言うとガイは懐中時計を愛おしそうに撫でた。元々こういった類の機械仕掛けのものが好きだという事もあるのだろうが、決してそれだけではない感情を持っているのが分かる。それが、自分がプレゼントしたものだからだと解釈しても決して驕りや勘違いなどでは無いだろうとジェイドは思う。
「――そうだ、まだケーキ食べてないんだけど、折角だしジェイドも家に来て食わないか?」
 今年は時間が無くて姉さんの手作りじゃないんだけど。
「そうですね。私もまだ貴方と居たいですし、ご相判に預かりましょうか」
 恥ずかし気も無くそう告げるジェイドに、顔を赤く染めながらもガイは微笑んだ。
 夜風の中、駐車場から自宅までの長くない道をゆっくりと歩きながら、ポツリとガイが零す。
「…連絡が無いから、オレの誕生日なんて忘れてるんだと思った」
 拗ねている訳でもホッとしている訳でもなく、何気なく、ただ本当にそう思っていたから出ただけの言葉だった。
「嫌ですねぇ、恋人の誕生日を忘れる訳が無いでしょう」
 だからジェイドも当然のようにただそう返す。
「うん。でも、ジェイド忙しいんだろ?携帯ででも良かったのに」
「それも考えたんですが、1番に言葉を送るよりも直接伝える方が大切かと思いまして」
 貴方に会うまで取っておいたんですよ、というジェイドの言葉を聞いてガイが歩みを止める。
「…ガイ?」
 ジェイドが振り向くと、手を口元に当ててガイが立ち止まっていた。
「どうしました?」
 どうしよう、とガイは思った。自分の誕生日なんて、大したものでもないし、どうでも良いと思っていたのに。ただ、ただジェイドに誕生日を祝われただけで、自分の誕生日をこんなに嬉しく思うなんて。現金だと思う、けれど、それよりも幸せだという思いのほうがずっと大きかった。自分の誕生日なんて祝わないでくれとさえ思っていたのに、ジェイドに祝われただけで胸がはち切れそうな位、嬉しい。
 多分それは(家族には申し訳ないけれど)、ジェイドがガイの中での特別だからなのだろう。
「――いや、何でもない」
 そう言うとジェイドはそうですかと返し、また歩みを進める。ガイもそれに続いて歩き出す。
「ジェイド」
「何ですか?」
「好きだ」
 それだけ言って、ガイは早足でジェイドを抜かして歩いて行く。初心な恋人の突然の告白に少々驚いていたジェイドだが、擦れ違う際に暗闇でもハッキリ分かる程赤面したガイの横顔を見て、口元に笑みを浮かべる。
「私もですよ」
 そう小さく呟いて、ジェイドはガイを追った。


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