諦念の望み

 ブウサギの散歩を終えたことを報告する為に陛下の居る謁見の間を開ける寸前に聞こえて来た声、と僅かな違和感。前者を確認し後者を無視して、中に入る。
「お、ガイラルディアか」
「はい。ブウサギの散歩が終わったので御報告に上がりました」
「貴方も大変ですねぇ。貴族に復権したというのに家畜の世話など」
「オレのブウサギは家畜じゃないぞ」
 傍から聞いていればハラハラもしようがガイからすれば微笑ましい口喧嘩を始めた2人を苦笑しながら眺める。
「では、仕事があるので失礼しますね」
「ん、ご苦労」
「頑張って下さい、伯爵様」
 ジェイドのからかいの言葉を苦笑で流して、謁見の間を後にした。
 仕事をこなす為に屋敷へと歩を進めながら先程感じた違和感について考える。
 違和感の原因は、解っていた。
 ガイが知る限りでだが、ジェイドは偶に口調が変わる。正確には素が出るのだろうと思うのだが、尋ねた事がないので真偽は知れない。正しく分かっているのは、ジェイドが敬語(本当に敬っているのかと問われれば首を傾げる他ないが)を使わずに喋ることがあるということだけだ。
 勿論、部下や兵に対して指示や命令をする時は敬語を使わないし、そういう場面には度々ガイも立ち会ったりしている。が、それとこれとは全く別の話である。
 ガイに対してジェイドは常に敬語だ。ガイだけでなく大抵の相手には必ず。それこそ部下や兵に対して以外は全てそうかも知れない。
 だからこそ感じた、違和感。
 そんなジェイドでもピオニー陛下(稀にディスト)に対しては偶にだが敬語を使わずに会話をする。或いは激昂した場合に。もしかしたら第三者が居ない時に限りピオニー陛下に対しては何時もそうなのかも知れないが、第三者であるガイがそれを知ることは適わない。
 その事から察するに、考えてみれば当然なのだがジェイドも昔からあの口調では無かったのだろう。
 何時からどうして何を考えどんな心境でジェイドが敬語を使うようになったのかをガイは知らない。14歳という歳の差以前に、出会う前のジェイドについて殆ど知らないのだから当然だ。そして幼馴染みである以上、ピオニー陛下がそれを知っていることも当然なのだ。
 ガイにだってルークやナタリアという身分は違えど幼馴染みと言って差し支えない存在が居て、ジェイドの知らないことがある。素姓が知れ公爵家に居た理由も全て知れているといってもだ。それが普通だし、別段可笑しいことだとも思っていないが。
(そこまで赦されて無いってことなんだろうな、きっと)
 結局はそういうことなのだろうと思う。
 きっと其処はジェイドにとって深い場所で、そして自分は其処まで踏み込むことを赦されていないのだ。
 それは至極当然のことだとガイは思う。長い年月を互いに共有し合って来たのならまだしも、ジェイドと自分はまだ高々数年の付き合いだ。浅いとは言わないが深いとも言えない関係であるのだから、心の深い場所を見せて貰えないことに不満など持てない。持つ権利など無い。
(遠い、な…)
 ただ、少しだけ寂しいと思う。
 ガイにとってジェイドという存在はかなり核心に近い位置に在る。旅の行程で不可抗力的に知れたこともあるが、それでも彼は全てではないにしろ今の自分を形作ることの多くを知っているし、またガイも自らそういう類いのことを話した。辛い時に支えてくれたことも、崩れかけた時に助けてくれたこともあった。そういったことの積み重ねで、今ガイにとってジェイドはそういう位置に居るのだ。
 だが、自分はどうだろうとガイは思わずにはいられない。過去を語りたがらないジェイドの過去を知らないのは当然だとしても、彼が辛い思いをして居る時に少しでも自分が支えになれたことはあるだろうか。彼が崩れそうになった時に、僅かでも自分が助けになれたことはあるだろうか。
 ジェイドは大人だ。歳の差などではなく、そう思う。彼は自身が弱っても一人で立ち直ることが出来る。外側からガイがどうしようかと手をこまねいている内に一人で元に戻ってしまうのだ。
 それが良いことなのかどうかガイには分からない。ただ一つ言えることは、少なくとも現状でガイがジェイドの助けにはならないということ。
 ピオニー陛下ならジェイドが弱っていたらすぐに手を伸ばすなり声をかけるなりして、助けになることが出来るだろう。だからこその幼馴染みであり支えであって、名実共にジェイドの大切な人なのだ。
 自分ばかり助けられて、相手を助けることは敵わない。そんな存在が心の深い場所に立ち入ることを赦される筈が無い。そんなこと、分かっているのだ。
 だからこそ、互いの心内にある距離の違いに、寂しさを感じる。自分ばかり甘やかされて、ジェイドに何一つ返すことが出来ないことが歯痒い。
 そして、違和感を覚える度にその距離を、それらの感情を思い知るのだ。
(仕方の無いことだって分かってるんだから、考えたってどうしようも無いのに)
 そう、いくら考えようとも解決しようがない。ジェイドがガイの存在を何処に置くかなどジェイド自身が決めることであり、個人の勝手なのだから。
(それでもオレは、出来るだけジェイドの近くに居たいと、そう願ってしまうんだ)
 それは諦める事に慣れ切っていたガイが、どうしても諦めることの出来ない思いだった。