リーズナーの幻覚

パイロットのクリスと整備班兼テストパイロットの翔真くん


 
 
 
 整備ピットを包んでいた喧騒は戦闘班の帰還から6時間も経つと随分と鳴りを潜めていた。
 奇襲への対応にあたっていた戦闘班が帰還し、翔真の所属する整備班は修理やメンテナンスなどの対応に追われていた。取り急ぎ最低限必要の機体を再び戦闘可能な状態にまで戻し、一応の山場は越えたのが先程のことだ。
 整備班が行わなければならない仕事はまだ山積しているが、発火もしくは爆発寸前の機関部の冷却などの、早急に行わなければならない部類の処理は済んでいる。言い換えれば、これ以上は時間をかけて行う他ない作業しか残されていない。
 何より、損傷した機体が余りに多く、修理補修の為の材料が足りていなかった。予備の予備すら使い果たしてしまいそうだが、不足分の発注を次回搬入の締切ギリギリのところで済ませることが出来たので、問題が起きなければ大方の物は届くだろう。
 とはいえ修理に動ける人員の数には限りがある。機体状況のみだけでなく各パイロットの負傷状況まで考慮して、修理する機体の優先順位を判断する必要があった。
 そうなると医療班とやり取りをする必要が出て来るが、向こうは向こうで今は忙しい筈だ。どのタイミングで話を持ち掛けるべきか…と考えながら歩いていると、後方のL字になっている廊下の向こう——今しがた後にしたばかりのピットのある方向だ——から、誰かが駆け寄って来る足音が聞こえた。
「華村さん!」
 さて何の問題が起きたのかと身構えていた翔真は現れた人物を目を丸くして迎えた。現れたのは整備班の人間ではなく、パイロットであるクリスであったからだ。
 ピットから整備班に割り振られた部屋へ繋がる通路を通る人間はそう多くない。オペレーションルームからは遠く、パイロット達の詰め所とも位置が異なるのでそもそも通路の位置を知らない人間も多いのだ。
 そんな場所で整備班以外の人間に声を掛けられるなどと思っていなかったこともあり、翔真は少し驚きながら振り返って声の主を見る。
「アンタ、怪我はもう——」
「皆さんが丁寧に整備してくださっていたディープを、あのような姿にしてしまって、本当に申し訳ありません…」
 松葉杖をつきながら息を弾ませているクリスに声をかけようとすると、それを遮ってクリスが長身を折った。
 それを伝える為にわざわざここまで来たのかと、翔真は驚く。
 クリスの愛機であるディープは先の戦闘で奇襲を受け大破していた。何とか帰還はしたものの、最早修理するよりも新しく作ってしまった方が早いという有様で、帰還するまで稼働していたのが不思議なほどだった。ディープの損傷は運び込まれた機体の中で最も激しく、よってパイロットの怪我も相応に酷いと聞いていた。ピットに顔を出すにしてもしばらく先の話だろうと思っていたのだが。
 現に今翔真の目の前にいるクリスは身体中に包帯やガーゼを纏い、ところどころ血も滲ませていた。
 だが、当のクリスはといえば、自分の怪我よりもディープを大破させてしまったことの方が辛いと言わんばかりの表情をしている。
「何を謝ってんの。あの攻撃を受けながら帰って来たんだ、整備班の子達はみんな感心してるよ。むしろ機体を持って帰って来てくれて感謝してるくらいさ。そんな顔してるんじゃないよ」
「ですが……」
「まぁ確かにアレだけ派手に壊れちゃうと、また同じものを作るのは難しいかもしれないけどね。でも、それでいいんだよ。あれは量産機じゃない、アンタ専用機なんだからさ。アンタが生きて帰ってきて、こうして無事な姿を見せてくれただけで十分だよ」
 翔真は殊更明るい口調で言うと、下げたままの頭をポンと軽く叩いた。
 すると、ようやくクリスがおずおずと面を上げる。
「…ありがとうございます。華村さんは優しいですね…」
「ほら、いつまでもこんなところにいないで早く戻りなさいな。傷口開いちまったりしたら大変だからね」
 翔真がそう言うと、それを聞いていたかのようなタイミングでクリスの後方から彼を呼ぶ声が聞こえてくる。
「絶対安静だと言っただろう!!! まったく君達はいつも僕の言いつけを守らずに…」
 眉間に深いシワを寄せながら駆け寄ってきたのは、医療班の桜庭だった。どうやらクリスを呼びに来たらしい。
「…では私はこれで失礼します。本当にご迷惑をおかけしました…!」
 ペコリと頭を下げたあと、桜庭に連れ戻されながらももう一度こちらを向き直したクリスは、最後に笑顔を見せて去っていった。
 
 
 


ディープが改になる前のクリスと翔真さんの話。
ピーキーが過ぎるのと体躯の関係でテストパイロットととしては翔真くんはノータッチ。
ディープは大破で、帰還出来たのが不思議なレベル。そもそも奇襲を受けた上「この程度でよく済んだな」レベルの戦闘だったので整備班は怒ってない。
クリスはボロボロで絶対安静が言い渡されてるのに抜け出して来たので桜庭まじおこ。