モラトリアム

貴方はもっと甘えた方が良いんですよ、なんて、他人事だと思って酷く簡単に言ってくれたものだ。
甘える、なんて言われたって、一体どうすれば良い。
あの赤毛の少年が自分に対して行うように?いや、無理だ。7歳児と同じ行動を恥ずかしがらず、躊躇わずに出来る程自分はもう幼くない。
我侭だって、言ったは良いがそれを通されたりなどしたら恐縮してしまって甘えているのか気を使っているのか分からなくなるに決まっている。それ以前に、自分が憚らずにそんな事を言える訳がないが。
大体、甘えた記憶というものすら自分には希薄なのだ。
「…ったく、如何やって甘えろってんだよ」
如何やって、等と考えている時点で自分は自然に甘えることが出来ないのだ、と思い至り、溜息を吐く。
別にあの軍人の言う通りにしよう、なんて思っている訳ではない、が。
ほんの少し、そうほんの少しだけ。甘えてみたいなんて思う気持ちも、あるのだ。確かに。いや、気付いてしまったという方が適切だろうか。復讐に身を焦がしていたあの頃は誰かに甘えるなんて考えもしなかったから。
そんな風にぐるぐると止め処なく思考を廻らせていたが、不意に聞こえたドアの開く音でそれは止まった。
首を動かしドアの方を見遣ると、其処に立っていたのは自分と相部屋の人間だった。当然ではあるが。
「どうしたんですか?眉間に皺など寄せて」
灯りも燈さずに、なんて抜け抜けとあくまでも軽い調子で彼は言ってのける。
アンタのせいだろう。そう言ってやろうかとも思ったが、口でこの人物に勝てる等とは欠片も思っていなかったので止めておいた。
「別に。…先、寝るわ。おやすみ」
「考えていたんですか」
布団を被った肩がビクリと動く。全く、どうしてこの軍人はこんなにも性格が悪いのだろう。
今更のように内心で、嘆く。
「私が言った事について、考えていたのでしょう?」
だからどうしたと言うのだ。
そう、確かにそれは事実だ。だがそれが何だ。何だっていうんだ。オレがアンタの戯言を遣り過ごせず悶々としていただけで。今でこそこうして悩んではいるが、時が経てばただの記憶に、更に過ぎればいずれそんな事すら忘れてしまうような、それだけの。
「答えは 出たんですか?」
出せる訳が、ないだろう。
分かっているくクセに。本当に、この軍人は性格が悪い。
「まあ、貴方のことですから答えなど出ていないのでしょう」
「分かってるなら、聞かなきゃ良いだろ」
ゆっくりと、上半身を起こす。
灯りを燈していない部屋に差し込む月明かりに照らされ、その人は立っていた。その口元に三日月のような笑みを湛えて。
「知りたいですか?その、『答え』を」
微笑み、近付きながらその人は言う。月光に照らされた譜業に隠されその瞳を窺う事は出来ないが、きっと血のように美しい色をしているのだろう。彼が笑っているのかは瞳が見えないせいで知ることは出来ないが、少なくともカタチの上では彼は微笑んでいた。嗚呼、なんて、なんて性質の悪い。
「別、に…」
しりたくなんか、と動く口を人差し指で止められる。
「嘘はいけませんねぇ」
紅い眼が自分を見つめている。その瞳は笑っていなかった。怒っても悲しんでも、無表情ですらなかった。強いて言うならこれは、憐れみ?――どうして彼が、オレを見て、哀しんでいるんだ。
「貴方は強すぎるんです。けれどそれは張り詰めた、硝子のような脆さを孕んでいる事に貴方は気が付いていない」

「もっと他人を頼りなさい。それが、『答え』です」

貴方が他人の心配するように、貴方の心配をしている他人が、思いの他多く存在するのですから。
「酷く、簡単に言ってくれるなぁ…」
「そう思いますか?」
「違うのか?」
「さあ、どうでしょうね」
微笑みながら彼が距離を取る。彼自身もきっと自分のことを心配してくれている他人なのだろう、と思った。勘違いかもしれないけれど。
「貴方は無欲が過ぎるんですから、少し自惚れる位が丁度良いんですよ」
「ま、少し考えてみるよ」
「おや、否定しないんですか?」
意地の悪い笑顔を浮かべて彼が言う。
オレより先にアンタが性格改善した方が良いんじゃないか。
軽口を叩きながら、胸の錘が無くなったことを、感じた。『答え』が解ったから、という単純なものではなくそれは、安堵のような暖かみを伴った何かだった。遠い昔当たり前のように感じていたものに、似ているかも知れない。

「急く事はないんですよ。貴方はまだ子供なんですから」
何時の間にか訪れたまどろみの中でそんな言葉を聞いた気がした。