ビターセミスイート

 ばたん、と派手に扉の閉まる音が聞こえ、続いてガイが倒れこむように部屋に入って来た。
 友人と遊びに行くという彼は出掛けに「今年は平日じゃなくて良かった」と、女性と縁の無い世の男共が聞けば発狂しかねない台詞を安堵と自嘲の入り混じった溜息と共に発していた筈なのだが。そういったイベント事に無頓着なジェイドには分からないが、義理はともかく本命には『14日当日』という記号がとても大切なものになるらしく、ガイが迫られる頻度も休日前の13日と平日の14日では数が違うのだそうだ。日付に拘った所で彼が返す答えが変わるとは思えないが、女性側からすればその日が持つ独特の勢いの違いなのだろう。
 ともかく、今年は休日であり友人と出かけてしまえば女性に猛攻撃を受ける心配が無い、と言いながら出かけたはずのガイは、ぐったりとソファにうつ伏せに倒れていた。様子を見るに例年以上に疲れているようだが、外で友人と遊んでいてさえも女性に追い掛け回されたのだろうか。
「おかえりなさい」
「ただいま…」
 クッションに顔を埋めたまま応えるガイ。これは相当だな、と思いながらジェイドは苦笑する。
「何か温かいものでも飲みますか?」
「悪い…。コーヒー頼む」
「分かりました」
 冷蔵庫からドリップパックを2袋取り出し、2人分のマグカップに取り付ける。少しずつ湯を注いで行くと、コーヒーの香りが辺りを包み始めた。歳暮で貰ったインスタントコーヒーもあるが、コーヒー牛乳を作る時以外は使う事は無い。「技術は凄いんだが、もう少し味がなぁ」と云うのはガイの弁である。
 こうしてコーヒー1つにしてもガイとの何気ない記憶が浮かんでくるのだから、冷血人間と言われた自分がこの数年で随分と彼に絆されたな、とジェイドは思う。決して不快ではないが、ガイと出会う以前の自分を省みると些か意外ではある。
 カップを持ってリビングへ向かうと、ガイはソファに座り直していた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 コーヒーを受け取ったガイは、おもむろにコンビニの袋から鮮やかにラッピングされた箱を取り出した。
 日付から考えて、まず間違い無くチョコレートの類だろう。折角の休日であるというのに、やはり女性に迫られたのだろうか。
「これ、やるよ」
「頂いても宜しいんですか?貴方が貰ったものでしょう?」
 まあ1度貰ったのだからその先をどうしようと勝手なのだろうが、女性恐怖症であっても大のフェミニストであるガイがそういう行動に出るとは考え難かった。一体どういう心境の変化だろうか。
「…オレが買ったんだ。遠慮しないで食ってくれ」
 不機嫌そうに――というよりは心底疲れ果てた様子でガイが言う。どういうことかを尋ねる前にガイがローテーブルに突っ伏した。
「あー、もうあのコンビニ行けねぇー」
「どういうことですか?」
 聞けば、始めの頃こそ普通に友人等と遊んでいたらしいのだが、今日が14日で集まったのが全員彼女ナシという事も手伝って段々テンションがうなぎ登りに上り、バツゲームありでゲームが始まったらしい。そして、そのバツゲームが『コンビニでチョコレート(出来るだけ本命っぽいもの)』を買ってくるというものであり、負けたのがガイだった、ということらしい。
「いやあ、若いですねー」
「冗談じゃねぇよ…」
 しかもよりによって店員は可愛い女の子だったし、なんか物言いたげにコッチ見てくるし、何か知らねぇけど客までコッチ見てくる人いたし。とブツブツ呟く。
 先ほどからぐったりしているのはそのバツゲームで要らぬ疲れを得てきたかららしいが、そういった意味の無い事に労力を使え楽しめるのは若人たる証だろう。常から年齢不相応に大人なガイが、そうして年齢相応の他愛の無い遊びをしているというのは中々喜ばしい事ではないかとジェイドは思う。14も歳の離れた自分では甘やかす事は出来ても、こうしてテンションの高さに無理を云わせて楽しませる(ガイが楽しいと思っているかどうかは別だが)事など出来はしない。
「そういうことなら、遠慮なく頂きますね」
「どーぞ」
 承諾を得てから青いラッピングを解く。中からは小振りなチョコレートボンボンが出てきた。数は少ないがそれなりに値段の張りそうな内容である。確かに、義理ではこのようなものを贈る事はないだろう。まあ男がコレを購入する時点で義理も何もあったものではなさそうだが。
「上手いか?」
「ええ、中々美味しいと思いますよ」
 食べますか?と聞くと、しばらくチョコは見たくないという言葉が苦笑と共に返ってきた。只でさえ良い思い出の無い日に、罰ゲームまでやらされたのだ。トラウマとまでは行かずともチョコレートというものにウンザリするのも無理ないのかも知れない。
「旦那甘いの苦手だから、出来るだけ甘くなさそうなのにしたんだけどさ」
 美味いなら良かったよ、とコーヒーを飲むガイから言葉が零れた。ほんの一瞬、チョコを摘まむジェイドの手が止まる。
「ええ、ありがとうございます」
 それはつまり、チョコの購入動機が罰ゲームだったのだとしても、買ったチョコは元々ジェイドに渡すつもりであった、と。今日は所謂バレンタインデーであり、つまり、そういう意図も少なからず含まれていると、そう判断しても良いのだろうか。普段と変わらぬよう装いながら、鼓動が少しばかり早くなるのを自覚する。
「…甘いですねぇ」
「ん?やっぱり旦那には甘過ぎたか?」
「いえ、この甘さなら大歓迎ですよ」
「そうか?」
 なら良いんだ、と微笑むガイ。これが計算でなく天然だというのだから始末に終えない。
(嗚呼、本当に甘い)
 ガイへの愛しさで、ブラックコーヒーまでもが甘く香っている気がした。