戯れるように柔らかく

 気が付けば、日付が変わるまで2時間を切っていた。思いの外、書類に集中していたようだ。
 固まった筋肉を動かすように身体を動かしていると、深夜の執務室にノックの音が響いた。その音でふいに警備兵が今日の仕事を終えると報告して来た記憶がないことに気付く。報告を怠ることは無い筈だから、自分が書類に意識を向けたまま上の空で応答をしたのだろう。こういったことは上官として宜しくないな、と自戒する。
「入れ」
 穏やかなノックの音で相手は誰か察していながら、敢えて仕事中の調子で返答をした。
「お疲れさん」
 ドアの向こうから現れたのは思い浮かべた通りの人物で、彼の笑顔につられるように頬を綻ばせた。
「何か急用でもありましたか?」
 落ち着いた様子からそうではないと分かりつつも尋ねると、「いいや、そういう訳じゃないんだが」という言葉が返ってきた。
「忙しそうだな」
「そうでもないですよ。この位が普通です」
「もう若くないんだからあんまりこんな生活続けてると身体壊すぞ?」
「肝に銘じておきますよ」
 軽口を叩きながら執務机から立ち応接テーブルの方へ移動する。その間にガイはテーブルにカップと皿を並べていた。
「とりあえず差し入れ」
 そう言ってガイが皿に乗せたものは、長方形のぶ厚いスフレにチョコがかかっただけという飾り気のない外観をしたケーキだった。
「これはまた珍しい物を持ってきましたね」
「知り合いに作り方教えて貰ってさ。旦那もこれなら食べるかなと思って」
 簡素な見た目のこのケーキは、グランコクマやこの周辺ではあまり見られないが、故郷であるケテルブルクでは比較的ポピュラーなケーキだった。当然、私自身も子供の頃に幾度も食べている。
 ケーキの中でも割合甘い方に分類されるこのケーキを、あまり甘いものを好まない私でも食べるだろうとガイが言ったのはきっとそのことを知っているからだろう。
「態々この時間に作ったんですか」
「この時間なら人少ないし、旦那はまだ仕事してるんだろうと思ってね」
 スフレだから急いで持って来たんだけど形が崩れて無くて良かった、と安堵した様子でガイが言う。
 気にするべきはそこではないのだが、ガイとしてはケーキの形の方が大切らしい。そんな様子が微笑ましくて、つい笑みが零れる。
「コーヒーで良いよな?」
「ええ、甘いものを食べる時は紅茶よりコーヒーの方が良いです」
 するとガイはケーキと共に持参してきたらしいポッドからコーヒーを注ぎ、カップを此方に差し出した。
「そう言うと思って用意してきた」
「相変わらず気が利きますねぇ」
「それほどでも」
 椅子に座ってケーキを口にする。甘いスフレの味が広がり、そのまま溶けて行った。舌にその甘味が残ったまま飲むコーヒーは、何時もより甘く、そして苦く感じた。
 このケーキを口にするのは何年振りだろうか、と思う。
「美味いか?」
「ええ、私には少し甘いですが、十分美味しいですよ」
「なら良かった」
 シルフリデーカン、ローレライ22の日。
 今日が何の日であるのかを恐らくガイは知っている。何を思ってガイがケーキを持って来たのかを、恐らく私は正しく理解している。
 だがガイは何も言わない。だから私も何も言わない。
 それで良かった。それで十分――いや十二分だと、思う。
「ガイ」
「なんだ?」
 大ぶりに切ったケーキを食べるガイに向かって、微笑む。
 この日に、こんな穏やかな気持ちでこの言葉を紡ぐようになるなんて、想像もしていなかった。
「ありがとうございます」
「――どういたしまして」


ケーキの作り方はネフリーさんに教わったという裏設定。甘さを控え目にしなかったのはわざとです。