想いを込めて

 キッチンに並ぶ材料と器具を見て諦めたように気合を入れる。
 チラチラと使用人達が入り口などから此方を除き見ているが、無視をする。
 流石に材料はメイドに買出しを頼んだが、此処から先は自分でやらねば意味がない。

 今は休戦中ではあるが敵国に嫁いでから幾許かの月日が過ぎた。だがそれも未だ一年に満たず、ようやく生活に慣れてきた程度である。使用人や島の人間には未だに敵国の女として冷ややかな目で見られることも多い。
 政略結婚である以上はその位の覚悟は出来ていたし、弱音を言うつもりもなかった。私が此処に居る事は何よりも生まれ育った祖国と家族の為でもあるのだ。辛くないと言えば嘘になるが、いずれ来る“目的”の為に在れる事は自分自身の誇りでもあった。
 とは言え、結婚相手に不満がある訳ではない。
 彼は出来すぎる人だった。私の伴侶とされるのが勿体無いと思う程に。彼は政略結婚を受け入れるばかりか、心から自分という存在を受け入れてくれていた。彼が怖いほど優しく恐ろしいほどに懐の深い人間だということを、決して長いとはいえない期間を共に過ごして理解した。
 そして私が今この地に立っている理由を思うと、ほんの少し罪悪感を覚える程度には彼の事を憎からず思っている。
 …尤も、彼が巧妙に嘘を吐いて居なければ、の話だが。

 ともあれ、こういったイベントに託けて感謝や多少の好意を表しても良いだろうと思い、私は今普段あまり立たないキッチンに立っているのだった。
 彼は今、公務に出かけている。
 簡単なチョコレートケーキならば彼が不在の間に作り上げることが出来るだろう。
「さあ、取り掛かりましょうか」
 無意識に彼の笑顔を思い浮かべながら、材料を手に取った。

 +++

 ラッピングをしたケーキと共に部屋で彼を待っていると、扉が開く。
 帰ってきた彼は、手に花束を持っていた。誰かにプレゼントでもされたのだろうか。それにしても、既婚の領主に赤の花束とは情熱的な人も居るものだ。…本来であれば、そういう――彼の事を真に愛する人が彼と結婚すべきなのだろうなと、望まれる形なのだろうなと、思う。
 ほんの少しの胸の苦しさをなかったことにしたくて、押し付けるようにケーキの入った箱を彼に渡す。
「これは…?」
 目を丸くした彼を見て、慣れない事をすべきではなかったかなと僅かに後悔した。
「今日はバレンタインでしょう。貴方と私は一応、夫婦だし、渡しておこうと思ったのだけれど」
 必要なければ処分して頂戴。
 彼の顔を見ることが出来なくて、目を逸らし早口で告げる。それが照れからなのか、後悔からなのか、他の何かの理由からなのかは自分でもよく分からなかったけれど。
「ありがとう、とても嬉しいよ。私からはコレを貴女に」
 受け取って貰えるかな、と言って彼が差し出したのは手に持っていた赤い花束だった。
「…それは貴方が貰った物でしょう?他の人の想いが篭ったものですもの、受け取れないわ」
 プレゼントしてくれた人に申し訳ない気持ちと、受け取りたくない気持ちで出来るだけやんわりと拒否をする。私のケーキも、順番が違えば誰かの元に差し出されたのだろうか。
「この花束は私が貴女の為だけに買ってきたものなんだけれど、それでも受け取って貰えないかな?」
 彼の言葉に、今度は私が目を丸くした。
「どうやら、私達の考えるバレンタインデーにはズレがあるみたいだ」

 結論から言うと、彼の考えるバレンタインデーと私の考えるバレンタインデーは間逆だった。
 マルクトでは男性から女性に主に花束を、キムラスカでは女性から男性に主にチョコレートを。
「そうだったのね」
 知らなかったわ、と零すと彼は微笑んだ。
「私もだよ。でも嬉しいな、君がバレンタインデーにケーキを作ろうと思ってくれる位に私を好いていてくれて」
「な、んで私が作ったんだと…」
 ケーキを見れば一目瞭然ではあるものの、まだ封は解かれていないのに何の疑いもなくそう口にする彼に動揺してしまったが、すぐ理由に思い当たる。
 普段あまりキッチンに立つことのない敵国の女が突然ケーキを作ると言い出したのだ。少々分かり安すぎる気はするが、毒殺などを警戒するのは当然だろう。増して、ホドが属するマルクトにはバレンタインデーに菓子を贈る習慣がないのだから尚のこと。使用人達がキッチンに居る私をやたらと気にしていたのはそのせいなのだろう。
 そんな状態なのだ、帰宅した際に執事辺りから忠告されたに違いない。
「貴方を毒殺する気かもしれないわよ?」
 自嘲を込めて口にする。矢張り慣れない事はするものではないな、と思う。
「毒を仕込むにしたってそんな分かりやすい罠を仕掛ける訳がないしね。今君がそう問いかけたのがその証拠じゃないのかい?」
 それに、と彼は続けた。
「君が作ったものを食べて死ぬのなら、それも悪くない」
 とても柔らかな笑顔でそう言うものだから、私は返す言葉を失ってしまう。
 そんな事、言わないで欲しい。私は、いつか貴方を――
「そうだ、まだ返事を聞いていなかったね」
「…へんじ?」
「そう、この花束を受け取って貰えるかな?」
 彼が、美しい、赤い花束を差し出してくる。
 受け取ってしまっても良いのだろうか。彼と私は夫婦なのだから受け取ることに何の遠慮も必要ない。でも――
「私は、貴女にコレを受け取って欲しいと思ってる」
 彼の優しい声に後押しされるように、ゆっくりと花束を受け取った。良い香りが鼻をくすぐる。
「やっぱり、その花は君に良く似合う」
「ありがとう…」
「どういたしまして」
 彼がふわりと私を抱きしめる。
 ありがとう。
 ごめんなさい。
 今だけは、この人と夫婦で居させて下さい。


祖国の為に生きるつもりでいた頃の彼女と、そんな彼女を愛していた彼の話。